細野朝士の万華鏡よもやま話

ときどき書きます

万華鏡とは?

あなたにとって万華鏡とは何ですか?なんて質問されたら


以前の私なら、仕事の成果品です!なんて即答して、ガッカリされてしまうという流れが好みだった?ように思います。


そこに、愛情が無かった訳では決して無いのですが、万華鏡が仕事だという現実が面白いんじゃ無かろうか?とそう感じて欲しい自分が勝っていたように思います。



今なら何て答えるのでしょう?


仕事の成果品というのは、紛れもない事実で揺るぎない物ですが、じゃ金の為に万華鏡を作ってるのか?と問われれば確かにYESなんですけれど、売れさえすればいいと思ってるのか?と問われれば、完全にNO!なんですよね。


コレって当たり前なのでしょうか?矛盾してるように映るのでしょうか?


基本的に私は天邪鬼なんだと思います。

望まれている回答をする事が苦手で、どうも期待を裏切りたくなってしまう自分がおります。


こういう文章を書いていても、それは同じ感覚で、通常の綺麗な流れのようにはいかず、言葉遊びや感覚遊びをしながら書きすすめつつ、何かしら合点のいく解答を得たり、自分の頭を整理したりするような感じで、それが自分にとっての小さな発見だったりするのです。

これは、アイデアやデザインを考える行為と良く似ています。


そして、私の万華鏡作りもよく似ているなぁと思うのです。

自分の発見した、予想を裏切るような面白い現象を、万華鏡という物で表現している。そういう装置作りをしているようにも感じるのです。


どんな装置かといえば、今までは刺激を与えるような傾向が強かったですが、これからは癒しの方面も探っていきたいと思っております。


勿論、何にしても自分なりの美意識が常に決定する訳ですが、もしかしたら今回書いたような、予想を裏切る感覚や、自分の発見≒オリジナリティ?自己流?という物が自分の美意識の中心にあるのかもしれないとさえ思えるのです。

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