細野朝士の万華鏡よもやま話

ときどき書きます

誤解

先日は、万華鏡関連の方と沢山お話しして、楽しい時間を過ごしましたー


色々と感じた事があって、何を書こうかなー?なんて考えると話題があり過ぎて難しいのですが、一つ何となく誤解されてるのかなぁ?と感じる事がありましたので、少し書いてみます。


それは万華鏡のミラー組みにとても厳しくて、それを指摘して喜んでる嫌な奴、そんな印象に私はなっちゃってるんだろうなぁという事。


まぁ確かに細かくは見ます。自分で作る人ならどうしても自然と見てしまうのではないかな?とも思うのですが、そういう基本的な、正しい程良い分野って見るのにそんなに時間は掛かりません。いつも仕事でしている事ですから。

只、ズレてるからって馬鹿にするような気持ちはないです。もうちょっとこうすれば……こっちのここをこうすると良いというのが多いなぁ

とかそんな感想は自然に抱きますが、自分からはよう言わんです。

感想を求められれば、正直に言うようにはしています。ミラーがズレてるより合っている方がいいのは確かだと思っています。


でも万華鏡の良し悪しや好き嫌いに、ミラー組の精度がどれ程影響するだろう?と考えると、圧倒的にそれ以外の要素の方が大きいと考えていますし、いつもそれ以外の事ばかり考えています。私の場合外観は決めてしまっているのですから、いつも同じような事ばかり考えて研究しているわけです。


長いことこの仕事をしていますから、ミラー組みなんて簡単で、チャチャっと作るのだろうと思われているかもしれませんが、決してそんな事はありません。

調子が良ければ、短時間に精度良く作れる事もありますが、多くは苦しみながら、嫌になって万華鏡作りを辞めた方がいいんじゃないか?と思う事もしばしばあります。


キチンと組む事の難しさもよく解っているつもりです。

理想を高く持ち過ぎて、時間を掛け過ぎてしまったり、沢山のミラーを捨ててしまうような状況は私は良いと思いません。


万華鏡を作る上で避けて通れぬミラー組み。常に程良いところに理想を持ちつつ、自分の世界観の表現を探るのが大切なのかな?と考えています。