何でここにこんな事を書くのだろう?
不思議な方も多いのかもしれません。
この場は、私が思いつくままに、書き綴るブログなので、自然とそうなってしまうのです。
申し訳ありません🙇♂️
自分なりに書きながら頭を整理したいし、それによって少しクールダウンしたいのかもしれません。
私も気楽なもんで、見たくない人は、わざわざ見に来なければいいんだからねーなんて思っています。
だとすれば、私も見たくない万華鏡をわざわざ覗かなければいいという理屈になります。
それは分かっているのです。
知り合い作家さんもそう言うでしょう。
色んな作り手がいるのだから、気にしてちゃダメだよ。
私だって作りたての頃は、下手な万華鏡が多ければ、あー暫くは安泰だなぁなんて、逆に喜んだもんです。
万華鏡ブームに乗って、アジアで金儲け目的の万華鏡が沢山作られた頃も、笑って見ていました。
多分、一番変わったのは、私の気持ちなのかもしれません。万華鏡を以前より愛しているのでしょう。
それはそれで認めます。でもそれだけでもないのかな?
万華鏡作りが下手だとか、センスが無いとか、そんな話ではないのです。私が残念なのは万華鏡への思い入れの無さなんでしょう。
昔の中国の大量生産も近いのかもしれないけれど、作り方の知識が無いだけで、それなりに頑張ろうとしていたように映りました。
少しの思いで改善できる筈なのに……それをしないのは知識が無いのか?する気がないのか?
それが良いと見えるのか??
それと、大きな違いは、店舗での扱い方もあるのかもしれません。
以前の中国製のを、中国、〇〇社製ですというような売り方は専門店では見ませんでした。ゴージャスに見れるお手頃なんちゃって万華鏡という位置付けかなぁ
その方は、ある店舗ではベテラン作家的な扱いで紹介してたりする。
そんな思い入れの無い作家さんやその万華鏡を見境なく、罪の意識もなくオススメできちゃう。
そういう商業主義がこの業界のイメージを悪くしていると私は思います。
あともう一つ、私は以前より、どうして万華鏡作家になったのですか?と問われると、仕事として始めたのですと答えています。
単純に見れば、商売の為、金の為とも聞こえるでしょう。
そういう意味では、私とその方は同じスタンス。売れれば正義?
そういう意味で自然と意識してしまうという面はありそうです。
別の話ですが、私なんかよりも全然商売上手な方もいらっしゃり、ちょっと歯痒い気持ちを抱く事もありましたが、その方ならではの万華鏡愛を持って、自分らしく活動されてる。万華鏡の魅力を上手に広めているのだと見ています。
そういう意味で、売るための戦略について意識してしまうという面は少なからずありそうです。
でも本来商売として始めたという言葉は、子供のオモチャ扱いの万華鏡だけれど、作家として食べていけるほどの魅力が万華鏡にはあると確信して始めているのです という意味であります。美しい万華鏡を作れば、それなりの価格で売れるだろう。だから仕事として成り立つだろうという確信があった訳です。
もし万華鏡ピラミッドがあるならば、魅力を追求する高みを目指しつつ、裾野を広げる活動が私の位置付けだと勝手に思っています。
私はその万華鏡をピラミッドの枠に入れたく無いのでしょう。少なくとも作家モノというようなジャンルに入れては、他の作家さんにあまりに失礼で、業界の評判やイメージを落とすだけだという思いから、このような嫌悪感を抱くのかなぁと考察しました。