細野 朝士 神がかりかがみか

赤津純子 佐藤元洋 細井厚子 細野朝士

神がかりかがみか

仙台万華鏡美術館での四人展が近づいてまいりました。


皆さん自分の万華鏡なんてあまり作って無いのに、大忙し。


コラボです。

話題はコラボ、コラボ

本当に大変です。


もう1年以上前から話し合ってはいたけれど、コロナ、コロナで、急いでコラボ。


どれだけ大変か

多分想像もつかないと思います。

私で言えば、Aかつさんとのコラボでは

通常の数百倍以上の時間を費やして、オブジェクト部を決定している感じです。

これは決して大袈裟ではなく、何日も検討して見通しがつき、挫折し、再検討を繰り返します。


納得する万華鏡を作りたい。

そして願わくばコラボ相手に気に入られて流石〜なんて言われたいがためなのです。


なんて書いてますが、まだコラボ作品は一本も完成していない。

えらいこっちゃ ですが、私は未来の自分を信じております。

きっと10本近くお持ちできると思います。


私よりも、御三方のコラボ作品は要注目!

真面目に作る方々がどのような解答を出すのか、本当に楽しみです。


初日は四人揃って会場でお迎えいたします。

その日にしか見れない作品もあるように思います。


どうぞ、お忘れなきようお願い致します。




中身が鏡かな?

私の事を単なる万華鏡作家だと思われている方が多いことと思います。

果たしてそうなのでしょうか?

私は生まれつきサウスポーで、左右の識別からして「逆」という意識を強いられながら成長してきました。

逆とは正に鏡です。

ある意味、鏡の中のもう一人の自分と共に成長してきたのかもしれません。

サウスポーあるあるですが、鏡文字なんてお手のもの
左を見ろ!と言われれば、右を意識せざるを得ませんし
信じろ!と言われれば、疑いながら信じてみようかな?と思います。

しないでするもの何だ?と聞かれたら、すぐに剣道と分かりますし、
立っている時は下を向いてて、正座すると上を向くもの何だ?と聞かれれば、足の裏!と即答できます。

もっと言えば、算数でいう逆、裏、対偶くらいを同時に考えたりする程です。
どういう事かというと、例えば
「平和が好きだ」という言葉
逆は「平和が好きでは無い」で
裏は「戦争が好きだ」となり
対偶は「戦争が好きでは無い」となります。

そうなると、もうこれは2ミラー2ポイントの万華鏡の世界。
万華鏡作家を選んだのは、宿命だったのかもしれません。


前置きが長くなりましたが、そんな私に別の才能があったという事が判明しました。
それに気付いている人は四人だけなのかも知れません。

そう、10月24日から仙台万華鏡美術館で開催される四人展のメンバーであります。

それは、四人展のタイトルを考えるLINEでのやり取りで判明いたしました。

私は空気も読まず、思い付きでアイデアを書いていく訳ですが、とある共通点が見つかったのです。

夜想曲 良き嘘や   
   おお大人の雰囲気ですね

・四人展に 二人(ににん)  天女
   天女って誰なの?気になります

・川の泡 あの和歌
   出来ては消えていく万華鏡の模様と
   川の流れでできる泡を重ねています。

・佐藤との日 今日の尊さ
   命ある奇跡を思い出とともに

・活かせ 磨かれ 鏡世界
   万華鏡作家の切磋琢磨を表現しました

・カルテット トッテルカ
   もうそろそろ気付いたでしょうか?
   これ、回文になっているのです。

・いる 鏡の中なの 身が軽い
   重力の無い、万華鏡世界に入り込む

・浮腫が解消 ヨシィ 鏡組む!
   足をむくませながらも、四人頑張って
   作っています。
どうぞお忘れなき様、お願いいたします。

私は万華鏡では無く、回文作家としての参加となります。

パクリ!

SNSで万華鏡のパクり疑惑の話題が見えまして、反応しようかとも思ったのですが、なかなか難しいと思うに至り、一日悩みましてブログに書いてみようかな?と思った次第です。あくまでも私の私見であります。


と申しましても、いつも更新が遅いですから、スッカリ忘れ去られたブログです。

一日の閲覧1,2件でしょうか。

そう、貴方だけのために書いてみるのです。


概要はPARCO劇場で公開される演劇のポスターにコンセプチュアルに使用されている万華鏡が、ある作家さんの作品によく似ているという事で、作家さんご本人から告発があり、賛同者多数、そっくりだ!パクりだ!クドカンやっちまったなぁ

というような流れなのかな?と見えました。


確かに、色使い、形状、構造に関しては共通部分が多く、参考にした可能性は否定できないなと感じました。

もしそうだったとして、それをどこまで寄せにいっているか?似せようとしているか?

という目で見ると、逆に似せないようにしているかな?という印象さえ持ちました。


それならば、でもちょっと似てますねーくらい書いてもいい訳ですが、それも出来ない理由があります。


私はポスターの万華鏡のモチーフは、下品な物のニュアンスを含んでいると想像します。

万華鏡は、そのネーミングや形状から卑猥な想像力を掻き立ててしまう面がありますね。

この業界にいれば、そんな事百も承知、

今更取り乱す事でもありません。


今回の劇について、詳しくは判りませんが、

・とるに足りない物をとても美しく見せる事

・その人にしか知り得ない世界観や

 そこから受ける感情も様々である事

・覗くという行為や、のめり込みがちなところ

このような、万華鏡の特徴が劇のコンセプトと一致しているため、シンボリックに使用されているのかな?と想像しました。


誰もが知っているような事件をモチーフにして、狂気とパロディを織り交ぜたような作品か?と想像すると至る所に多くの人が共感できるような仕掛けも散りばめられている筈です。


万華鏡もその一つであって、裏の狙いもあるでしょう。つまり下品なモチーフがあるだろうと予測します。

一度そう思うと、もうそのようにしか見えません。

◯見さんの万華鏡との共通点として挙げられる項目は、モチーフありきで考えると、多くは譲る事の出来ない点であり、それで説明がついてしまうのです。


もしそうだとしたら、それが似ている!そっくりだ!パクりだ!ということは、山◯さんの作品がいかに下品か?と言っているに等しくなってしまわないでしょうか?

私にはとてもそんな事はできません。


そのような訳で、何も反応することが出来ないのです。




私が願う今回の落とし所は、万華鏡は本当は綺麗なモノなんだよという事で、公演時に会場付近で山見さんの万華鏡の販売会も同時開催なんてどうなのでしょうか??




少し調べてみたところ、スタッフのコメントで、AVの舞台化したもの、卑猥でふざけた、どれだけ下品な事が出来るか、下ネタ好きな人に観てほしい。

というような言葉が見えました。

私の仮説は当たっていると言って間違い無さそうです。


先方から、そのような卑猥な意図を持って作られた万華鏡でして、と説明されたらどのように返せるでしょうか?


主張すればするほど、ご自身の作品がいかに卑猥なモチーフに似ているか?という話になってしまいそうで、あまり得策で無いように思うのです。


あまり騒ぎ立てないのが、業界のイメージの為にも良いと思います。

先方からしたら、クレーマー集団のとんだ言い掛かりなのかもしれないのですから。

旧作 Sシリーズ

新作を、作品の評価で値付けをする試みを始めてから、価格の高い設定のものほど売りやすくなったのは、ある意味大成功で、作家のモチベーションにもなっているのですが、

正直、低めの価格の物や旧作に、もう少し目を向けて貰いたいという気持ちが残ります。


それこそ、実際に見て頂ければ話は早いのですが、なかなかそういう訳にもいきませんね。


今回はSシリーズについて書いてみます。

最近のSシリーズはレベルが上がっていると自負しています。

何が変わったかと言いますと、何もかもが変わったという事かもしれません。


実は素材も変えましたし、オブジェクトのサイズ感、形などなどです。


一時期からだんだん派手になってきていて、それを望んでいた自分もいた訳ですが、それは新作の方で活かす事として、Sシリーズはもう少しシンプルに、キレイなシェイプやダンスに特化して作る事と決定したのが、つい最近です。


派手さや、色の多彩さでは新作と比べようもありませんが、それを敢えて狙っていないのですから、比べる意味はありません、


上品にまとまりあるシリーズに進化していると自分では評価しています。


今年の活動

先程テレイドスコープを仕上げまして、なんとまぁ四ヶ月振りにテレイドを作ったという事らしいです。

こんな年はあっただろうか?


コロナ禍で万華鏡を見て頂く事が難しくなり、新作の幻研究に明け暮れておりましたが、やはり研究は時間の掛かるものです。

楽しいのは良いですが、製作本数と反比例してしまう面もあるのは事実です。


理想が高くなるほど、なかなか及第点に至らず、時間が掛かってしまう。

効率を優先する私が、このような事態となる事はある意味悦ばしい事で、必要な事なのかもしれません。


10月には仙台で、万華鏡を大切に使っている御三方と、四人展をする予定です。

これくらいの自分でなくては申し訳ない。


コロナ禍で万華鏡どころではない事も予想されますが、それでもいいのです。

多分いま、四人の作家がそれぞれにもがきながら新しい世界を作ろうとしている。

それが尊いのだと思います。

確率の解答

あなたが始めに選んだカードが当たりの確率は三分の一、残っているカードが当たりの確率は三分の二なので、交換した方が得策だというのが正解です。


どうでしょう?難しかったでしょうか?

私は当初違和感がありました。

どうして2倍も確率が上がるのだろう?


感覚的に確率が高すぎるように感じてしまいました。それはどうしてでしょう?

それは、カードを見ている側の気持ちを正しく理解してなかったからかもしれません。


当たりを1枚、ハズレを2枚持っているのだから、1枚引かれても必ずハズレカードがあり、そこから1枚ハズレを捨てればいいのだから、何も問題無いじゃない?くらいにしかこちらの状況を想像して無かったのではないですか?

もし、あなたが当たりカードを引いてくれたのなら簡単です。私は2枚のハズレカードから適当に捨てれば良いのです。

しかし、それは確率的に三分の一です。


三分の二の確率で、私は当たりとハズレを1枚ずつ持つ事になり、必ずハズレの方を捨てなければなりません。

つまり三分の二で起こるこの状態では、100%残ったカードが当たりとなるのです。


整理すると、あなたが始めに当たりカードを引く確率は三分の一であり、私に当たりカードが残る確率は三分の二。それだけの話だったのです。


この手の話は数を増やすと理解しやすいです。

私は始めに100枚カードを持ち、その内当たりは1枚とすると、あなたが始めに引いたカードが当たりの確率はたかだか1/100。

私が当たりカードを持っている確率は99/100で、その99枚のカードからハズレカードを98枚捨てる。

私が最後に当たりカードを持っている確率は99/100のままとなります。


ここでの盲点は、私には当たりとハズレが見えているという当たり前の事を、ついつい忘れてしまうという事なのかもしれません。

無作為に1枚捨てるのでは無く、ハズレを選んで捨てるという行為が確率を変えてしまうとも言えそうです。


ある種のトリックと似ているようにも思います。私には神の目があったようなものです。


このような相手に勝つにはどうしたら良いのでしょう。

何も小細工してないかのように振る舞いつつ、実は相手が支配しているシチュエーション。


そのような時には、この問題のように最後に交換させて貰えば良いという教訓にもなりますでしょうか。





確率の問題

唐突ですが、

物事、ギリギリできたり、できなかったり、

ギリギリ理解できたり、できなかったりするレベルの事が楽しいように思います。


出来て当たり前の事を延々とするのは、億劫ですし、どんなに考えても分からない事は放り出したくなります。


ですから、ギリギリ出来ないくらいのことを、楽しみながらギリギリ出来るようにしていけば、もう少し難しい事が楽しめるようになります。

そのようにステップアップしていけば、無理なく進歩できますね。


私は高2の娘の勉強を見ていますが、確率の問題が私には丁度良いので、楽しくて仕方ありません。

娘よりも私の方が間違いなく楽しんでいるでしょう。


そんな問題を解きながら、突然有名な確率のクイズを思い出しました。

正式名称か分かりませんが、「神の目」と呼んでいる問題があります。紹介しますと


ここに3枚のカードがあり、その内1枚が当たりです。

私が3枚を持つので、あなたは裏返しのまま1枚引きますが、まだ見てはいけません。

私は残ったカードから、ハズレカードを1枚捨てて、あなたに問い掛けます。

「今なら、カードを交換しても良いですよ。」

さあ、あなたは交換すべきでしょうか?


設定自体はごく単純な問題ですが、これを確率を使って、正しく答えを出せた方は大したもんだと思います。

お暇でしたら、是非考えてみて下さい。

もし知っている方も、本当にそうなのか?確認してみるのも楽しいですよ。


回答例


・今なら交換してもいいですよってセリフがどうも胡散臭い。きっとそれは当たりカードを引かれてしまったからだろう?と絶対にカードを変えたがらない方は一定数いらっしゃるでしょう。とても前向きな方ですし、自信に溢れているのかもしれません。

しかし、その理由なき自信が仇となります。嫌いではない考え方ですが、不正解です。


・始めに取ったカードが当たりの確率は三分の一。これは間違い無さそう。

残っているカードが当たりの確率は?

これも三分の一なのか?1枚捨てたから二分の一なのか?

どちらも違います。


・始めに取ったカードが当たりの確率は三分の一だけれども、私が1枚捨てたタイミングでそれは二分の一となり、残ったカードも二分の一なのでは?という難解な回答も違います。






撮影

万華鏡の撮影をしてから動画を観ると、あれ?こんなに綺麗だったかな?とか、こんなにコントラストが強かったかな?逆にこんなに淡い色だったかな?とか思う事がありますし、どうしてあの良さがもっと際立たないんだ?と思う事もあります。


自分が感じていたそのスコープらしさが、映像で適切に表現出来ない。

なかなか難しい問題です。


動画を撮影する機種にもよるし、再生する機種にも、再生映像の大きさの違いだけでも、色味やコントラストが違って見えて、そのスコープの印象は随分異なるように感じます。


昨日は、撮影のやり直しをしようと決意したのに、やり直す段になって尻込みし、ブログに書く事で誤魔化そうとしている自分がおります。




しかし、結局撮り直ししました。

真面目アピールであります。


好みについて

新作が出来ると、家族内でファミリー選挙が行われ、順位がつきます。


今回は、好評なタイプを揃えたので、なかなか甲乙つけがたいという感想。

しかし、自分の中ではしっかりと甲乙があり、それがどの程度伝わるのだろう?

といった指標にもなったりします。


結果、私の指標は一般的では無い可能性があります。

個人的には、私が狙っているところよりもミラーシステムの好き嫌いが大きく影響してしまっているかも?と思います。

それは、私自身もそうなのだと思います。


私の統計によると、建築好きな人は四角が好き。四角が連なる90°×45°×45°の3ミラーも好きで、私もその部類。

しかし、それは統計的には少数派で、一般的にはもっと華やかなミラーシステムが好まれます。


二等辺三角形の3ミラーばかり世に溢れてしまっているのは、作りやすさだけでなく、好みの問題も多分に影響しているのだと思います。


私の個人的な偏見ではありますが、四角の好きな女性はセンスある素敵な女性が多いと感じます。


要するに、私は四角を作りたいのです。

もうそろそろ、そういう時代になって欲しいものです。








ミラー組み

久しぶりになってしまいました。

子供が夏休みに入り、落ち着かなくも充実した日々となり、仕事が疎かになりがちです。

個展以来、映像を撮ったり、今後の新作の模索をしたり、久々に旧作作ったり、今はこれまた久しぶりに3ミラーテレイドのミラー組みをしています。

いや、正確にはDタイプを作ろうとしています。

個展では何度か話しましたが、テレイド用のミラーの内、特に上手に組めた物をDタイプで使用しています。

ですから、テレイドのミラー組みは、正直イマイチかもしれないのです。


通常は、テレイドをよく作っていたので、その内上手に組めた物だけをD用にためていくという行為をしていましたが、今は必要な種類が在庫無しという事で、新たに作る事にしました。


通常、上位10%くらいの感覚で、D用に流用していたので、Dタイプの必要本数の十倍位のミラーを作らなければなりませんが、今回あまり時間は掛けたくないという事で、少数を特に丁寧に作ろうと思いました。

今までに得た知識を総動員して、慎重に作業を進めると、どれもとても上手に組めます。

下手に組むってどういう事?

と、憎たらしい事を言いたくなるくらい上手くいきます。

やはり、私の考えていた事に間違いは無かったなーと再確認する事が出来ました。


個展中に遊びに来て下さった作家さん方が、あの方法が良いらしい。あの作家さんもそうしてるらしい。あの道具が良いらしいとか、色んな情報を得ましたが、私としては、どれも論理的にも効率的にも感覚的にも必要ないように感じられました。

因みに、ミラー組みが上手だなと感じていた作家さんに聞いてみると、やはりどの方法もしていない。

つまり、必要を感じている方が、自分のやり方に自信が持てず?間違っているのか?と感じ、迷っているという事かな?と感じました。


私は現状、従来の切り方で何の不満もありません。

ただ、真っ直ぐ切り、正確に組めばいいのだと思います。

どのような意識が自分に必要なのか?という事が大切で、現状どのようになってしまっているのか?を見極められない事には進みようが無いことなのだと感じます。

新作の説明

私が作ってきた偏光万華鏡の作り方をお知らせします。

これから偏光万華鏡を作りたいと思っている人は読まない方が良いかもしれません。

書かれている言葉に囚われ過ぎてしまうかもしれませんから。


スペースシリーズといって伝わるでしょうか?黒い世界に青をメインに虹色のラインが踊るような万華鏡です。

私からすると、これはインスタレーションのような感覚で作っています。

オブジェクト自体はとても単純なものなので、それが筒の回転運動で、どのような踊りを見せるか?という事に意識を集中させます。


オーロラシリーズと言っていたものは、偏光の可能性を追求していました。

私が出した答えは、様々なシーンで変貌する天才子役と、居るだけで雰囲気を作り出してしまうベテラン女優の二人芝居。

二人を活かす最低限のセットの中、ピンスポットで人物を照らします。

最近は子役の喋りがちょっと鼻についていたのです。


そんな事から、新作では子役を外しました。

偏光の可能性を一人で背負っていた天才がいなくなり、まず作り始めたのが、インスタレーション的な解釈。

天才を外したインスタレーションですから、これはきっと誰もが考える偏光万華鏡なのだと思います。

偏光一年目のやり直しとして、まずは同じ舞台から始めようと思いました。


次に考えたのが、背景のスクリーンに色んな色の光を当てた、3〜5人のダンスです。

色んなタイプのダンサーを揃えて実験を重ねましたし、背景も色だけでなく、色んな風景を写したりもしてみました。

だんだん、ダンサーからミュージカル俳優を揃えるようになりました。

そして最近のは、プロジェクションマッピングになっています。

それでインスタレーションを作ったり、数人の俳優に映像を当てるプロジェクションマッピング演劇になったりもしています。


今はそれぞれの舞台の魅力が最大限生かせるよう、レベルアップしてみようと思っています。


こんなに赤裸々に具体的な作り方を書いてしまって大丈夫だろうか?

不安になってきました。



偏光の仕組みについて

二枚の偏光板を使って、透明なお菓子の袋などを虹色にする仕組みはご存知でしょうか?

偏光の原理というのでしたか?


この仕組みを使った万華鏡を23年作ってきましたが、上手に説明することは出来ません。


例えばアクリル板、キャストといってストレス無く製造されたアクリル板は、偏光板を通しても色づきません。

しかし、温めて引っ張ると、その力によって組織に位相差というモノが生まれ、それが色として現れる。

何となく、そのように解釈しています。


プラスチックなどを成形するときは、大抵熱してプレス成形するので、綺麗な色を見せる物が意外と多く、試してみるととても楽しいものです。

ストレスが色として現れるとも言えそうですが、力がもたらした色と表現する事もあります。

この色は不思議な変化をします。

例えばセロテープ。1枚では大した色にはなりませんが、2枚3枚とどんどん重ねていくと、アッと驚く色ができます。

そして、その色同士を重ねて出来る色がまた不思議。どうして?という色ができます。

そして、偏光板に対する角度で色が変化するし、偏光板自体の角度を変えても不思議な変化をしますから、不思議のオンパレードな訳です。

もし私が万華鏡作りをやめても、偏光先生として学校巡りでもすれば、面白がられるだろうなーと思っている程です。

殆どの人は、偏光の本当の面白さについて気付いてさえいないように感じます。

それでも、偏光って面白い〜なんて声も聞こえるのですから、大変奥深い原理だと思います。


昔の日本人は、お嫁さんに白無垢を着せて、旦那さんに染めて貰うんだよーなんて言ったらしいですが、私に言わせれば、白無垢なんてふざけるな、透明フィルムが良いだろうと考えます。

いや、透明フィルム着たらスケスケで見えちゃいますから、そういう事ではなくて、

もし、私が生徒指導教員だとしたら、あなた達は透明フィルムだよと教えます。

みんな同じように見えるかもしれないけれど、偏光板でかざしてみれば、それぞれが色んな色を持っているんだよと。


一色しか出来ない子もいるし、色んな色ができる子もいるでしょう。ある角度だと一番鮮やかな色ができて、大抵ある角度では見えなくなってしまう。

二つ重ねて、驚くような色も作れるし、角度を変えれば、打ち消しあってモノトーンにもなる。

どの場面でどの色を使って生きていくかが、人生の選択なのかもしれないね?と教えたい。

偏光の面白さは、重なりによる意外性。

同じ色同士が重なって、全く違う色が出来たりもするのです。

自分がどんなに地味な色だとしても、みんなにとても大きな影響を与える事も可能な世界。

但し注意しなければいけないのは、色んな色が合わさって、面白い色は出来ますが、重ね過ぎると、色が無くなっていくという事。

大人数の会議のような、意味のない集まりになってしまうのです。

雑草を抜く生徒指導教員

唐突に始まりますが、時々考えている事を書きます。

我が家は、雑草に覆われてしまっています。

草刈りや、雑草抜きをサボっているからなのですが、一体雑草とは何でしょうか?


それは、私がもう勘弁ならんとなった時に判明します。

自分の美意識に照らし合わせて、勘弁ならんと思った草こそ雑草です。

そうなったら、人間は勝手なもんで、ワシの土地じぁー!と自分のルールを押し付ける訳です。

昨日まで、笑顔で見てた癖に、急に鬼のような形相で引き抜きにくるのですから、雑草はたまったもんじゃありませんね。

その時私は生徒指導の鬼教員になっています。

不良どもの性根を引き抜いていく訳です。


鋭い刺で武装している不良もいます。

引き抜こうとすると、表面の皮だけスルッと剥がれて、残った幹はつるつる滑るようになっていて、絶対に引き抜かせない頭脳派もいます。

そういった輩は、幹を掴むのはタブーで、土の中にある根っこの元を見極めて、しっかり掴み慎重に引き抜かねばなりません。


大事な生徒に絡みついて、難を逃れようとする輩もいますから、丁寧に蔓を解いて、不良どもだけを引き抜きます。


そうこうしてる内に、足元を蚊にシコタマ刺されて、そっちの方が勘弁ならんとなって、鬼の草むしりは終了となります。


そんな行き当たりばったりの生活ですから、私を包む空間は、混沌が支配しています。


そんな生活を良しとしてしまっていますから、変わりようがありません。

万華鏡の評価の仕方について

まず分かりやすいところで、ミラー組の正確さがあります。

完全に完璧なミラー組は無いのですが、いかにそこに近づけられるか?という事です。

角度のズレや、隙間、ゴミやホコリ、歪みなど、そのスコープでどれだけ目立ってしまうのかを評価しています。


実際には、この点で通常価格にしてしまっているケースは少なくありません。


しかし通常、お客様が見て気になる程のケースは少ないのかもしれません。

誰よりも厳しい目を持って、評価しなければいけないという気持ちの表れと言ってもいいと思います。


万華鏡の中で、唯一普遍的な正解があるミラー組は、作家として常に考え続けるテーマですし、常に最善を目指しステップアップしなければならない技術だと思います。


次に分かりやすいのは、オブジェクトの動きかと思います。


ドライタイプでは、完全な幾何学模様に拘り過ぎて、ケースを浅くし過ぎ、動きに難が出るケースがあります。

また、オイルタイプでは、偏光で使う素材は軽いので液体の中で浮いてしまうことになります。

粘度を低くすればある程度解決ではあるのですが、動きがセワしくなってしまって、偏光の面白さが十分伝わりませんし、セワしい万華鏡は好みでは無いので、粘度を上げる訳ですが、そうなると動きが物足りないものになったり、ケース内でくっ付いて動かなくなってしまったりという問題が起こりやすいです。

簡単な事のようですが、未だ答えを見付けられずにおります。


あとは、何とも伝わりづらい、出来る模様や、その色、その変化、バランスなど、感覚的な要素です。

狙っているモノに対して、それ以上の成果があると評価が上がり、次はそれを目指してみるという繰り返しの作業をしています。


分かりやすい部分としては、変化の幅がありますが、それが大きければそれで良いという訳でもなく、指標の一つという感じです。

実際は、幅そのものよりも、意外性を重要視します。期待に対してそれを上回る、または裏切られる。

そんな場面が多ければ、評価は上がります。


色んなカラフルな色の出るスコープを作るのは、割と難しい事ではありますが、その仕組みは自分なりに確立しつつあります。

それはそれで、大変面白いスコープですし、現状、私にしかできないモノなのかもしれません。

しかし、自分としては慣れてきつつあるようにも感じています。

変化に対しての驚きもまだまだあるのですが、色そのもの、模様そのものに対する驚きや感動は薄れてきているようで、カラフルさや変化の多様性を多少犠牲にしても、魅力的な色、模様を作りたいとも考えています。

例えば、幾つかの要素が互いに打ち消し合うような、不調和音的な要素、またはハレーション?ハウリング的な通常喜ばれないような効果も面白いと考えつつあります。

そのように、変化していくであろう、その時々の狙いに対して、感覚的に評価している部分も大きく、その点は決して普遍的なモノでは無いだろうと考えています。


個展以降の価格変更について

以前、個展では一本一本万華鏡を自分で評価して価格を決めるけれど、個展が終わったら価格を戻すというように書いた記憶があるのですが、自分の評価での値付けがとても好評だったので、引き継ぎその価格付けを続ける事に致しました。

話が違う!という声もあるかも知れませんが、どうぞ宜しくお願いいたします。


個展の時は、敢えて普段よりも安い価格設定も用意しましたが、今後それはあまりしないと思われます。


通常価格の物があり、その中でも特別感を感じられる物に対して、その評価に応じて価格を決めます。


こちらでは、シリアルナンバーと設定価格を控えまして、間違いの無いよう販売店に徹底管理していただきます。


この仕組みはとても分かりづらく、暫く悩みましたが、互いの信頼関係に頼るしか無いこの仕組みが、私には何とも心地良く、今後暫くは続けさせて頂きたいと思っています。


勝手を申し上げますが、どうぞ宜しくお願い致します。


現状、どのような流れで作っているか説明させて頂きますと、


毎回毎回、一本一本が最高の出来となるよう願いながら、工夫を重ね、改善を続けていきます。

作っている時はそれなりに時間を掛けつつ最後には大抵、いいのが出来るぞー!とウキウキしながら組み立てます。

評価は翌日以降、クールダウンした頭で行います。

時間を掛けている分、完成してから新作として恥ずかしいような出来の物は今のところありません。

ですから、今までの定価が付いている物に関しても、恥ずかしいというような思いは一切ありませんし、どれも今までに無かったようなスコープだと思っています。


ただ、今はその現状に満足せずに、ある意味無理かもしれないところに理想を掲げて、出来るだけ理想に近づけたいと もがいています。


それに近づけたかな?と思うその度合いで価格を決めていくという感じです。


今後、研究が更に進めば、さらに高い価格帯で推移するのではないか?と想像していますし、そう願っております。


外観が同じの上に、名前も同じでシリアルナンバーだけの違いで、価格が異なるという何とも難解な売り方となってしまい大変申し訳ございません。


この動きが、万華鏡は一本一本違うんだという認識の一助になる事を願いつつ