細野朝士の万華鏡よもやま話

ときどき書きます

格言2

先日はラジオでネイティブアメリカンの教え?

今日は死ぬのにもってこいの日だ

というような格言的な言葉を聞きました。

 

もう死んでもいいと思えるほど、満ち足りた人生にしましょうという感覚でしょうか?

  

今日は残りの人生の最初の日

なんて言葉もあがりました。ありふれた今日が特別な日のような気がして、新しい事でも始めてみようか?と前向きになれる気がします。

 

必ず訪れる死というモノを意識する事で、生が輝くようなそんな共通点はありながら、死の見つめ方はある意味逆なのかもしれません。

 

私の経験で、生きるのが辛い時期、あまりに辛かったら死んで仕舞えばいいんだ。

そう思う事で精神的に救われた記憶がありますから、死を意識するというのは、強ち悪い事では無いと思っています。

 

キャプテンハーロックも、命を捨てて俺は生きると歌っていますね。

小さな頃は、命捨てたら死んじゃうだろうと、その矛盾が気になりましたが、捨て身でなければ生き残れない状況もシビアに考えればあり得る世界です。

 

生きるとか死ぬとか

たかだか百年程の人生で、人間はその意味を考えたいだけなのかもしれないなぁなんて気もします。

私は最近あまり大それた事は考えないようで、生きるのに意味なんてないし、無くていいだろうというような感覚があります。

自分や家族、身近な人が楽しい時間を過ごせればいいな

そのくらいのスタンスで生きているように感じます。

生と死の違いさえ少し曖昧で、でも生に少なくとも存在している共感という感覚、その響き合いの美しさに惹かれて、今暫く生きていきたいと思うのです。