細野朝士の万華鏡よもやま話

ときどき書きます

外観について

私はどうしてステンレスのパイプで作る事になったのだろう?と ふと考えました。

円柱を選んだのは紛れもなく、回転させながら見るからでしょう。

テレイドは球体をはめ込むのに円形の穴が必要ですから、始めから穴の空いてるパイプは好都合です。

 

そんな事は誰もが考える事で、当たり前ですね。

 

では、何故ステンレスだろう?

錆びない代わりに経年変化も楽しめない。

アルミ程軽くない、程良い重さ。

貴金属で無いから、高価で無い。

そこには大きなプラスも無く、マイナスも無い

ジャンルに囚われない自由さと、程良い高級感があるように感じたのだと思います。

 

作り方を突き詰めれば、もっとスマートに作れるのだと思うのですが、その技術が無い上にその必要性も感じない程に、内部の世界観に注目して欲しい気持ちが勝っているようです。

作りやすいという事は、クオリティーを維持する大きな武器にもなります。

最後まで微調整出来るのは、大きな強みなのかもしれません。

 

以前は小型のテレイドにネジを付けていました。転び止めや持ち運び用のアレンジの為でしたが、今ではその感覚にも抵抗があります。

 

そういう配慮的な物が姑息に感じてしまうのでしょう。

売りやすい為の工夫。例えば某デパートオリジナルという事で、薔薇を入れないか?とか

何かワンポイント欲しいですね。とか

身につけられるような形状にしては?など

ちょっとした知恵に対して、以前にも増して頑な自分がいます。

外観は絵画の額縁のように、シンプルでありたいのだと思います。そしてシンプルな額の中にアッと驚く世界を作りたいのでしょう。

 

しかし最近は並々ならぬ思い入れを持って作る事ばかり。

考えを改める事もあるのでしょうか?それは自分でも分かりません。

 

どうやら金に対する免疫が無いというか、罪悪感や恥じらいのようなものが抜けないという面もありそうです。

売る為の努力は仕事ですから何とか頑張れるのですが、作品である万華鏡が必要以上に歩み寄る事に抵抗があるようです。

きっと純粋な気持ちで創作したいのでしょう。

 

万華鏡事態は売りたいような素振りや歩み寄りを一切見せずに凛と立ち、それがいいと思われたい。

例えるなら、シャム猫かロシアンブルーのような存在に憧れているのかもしれません。