細野朝士の万華鏡よもやま話

ときどき書きます

個性

自分の万華鏡の個性が出せずに悩んでしまうなんて、よく聞く言葉のような気がします。

 

個性なんて自然に出てくる物で、わざわざ出そうと苦しむようなものでも無い。

 

確かにそんな気がしますが、それでは解決はしませんね。

 

最近思うのは、作家の世界観や生き方が作品に現れて自然に個性となる。そんな当たり前の事です。

 

個性的な万華鏡を作る多くの人は、もしかしたら良い万華鏡を作ろうなんてあまり思ってないのかもしれません。なんて書くと誤解を受けますが、それが一番と思っている訳じゃないのかな?という意味。

 

自分の表現したい物があって、それを万華鏡で表現してる。

そんな感覚?

 

良い万華鏡とは一体どんなだろう?

このような問いは、割とつまらない答えを出してしまいがちではないでしょうか?

 

悪い所無くいつも綺麗な、出来の良い万華鏡。色んな色や形が程良く現れて、いつまでも飽きない?

 

コレって追い求める程の事でもなくて、知識や技術である程度身につく学び的なモノだと思います。

 

その技を以って何を表現したいか?

自分は何が好きなのか?何でワクワク出来るのか?そんな事が、良い万華鏡を作る事よりも大切な感覚の延長に、個性が見えてくるのかもしれません。

 

たまには真面目な事を書こうと思って、始めたものの、ホンマかいな? いや当たり前か?

浅いなぁなんて気もする。

 

じゃあ、自分の万華鏡がお客さんにどのように迎えられて、どんな生活の後押しをしたいか?

どんな感じで親しんで欲しいか?そういった具体的なビジョンが見えているか?そんな事も面白い視点なのかもしれません。

 

 

先日の展示会での事。

私の万華鏡にハマってくれてる店員さんが会計時お客様に

どんなの選びましたか?少し覗いて良いですか?と聞くなり暫くしんみりと覗いてから談笑。

そして万華鏡をお渡しする際、プチプチも何も巻かずに

このままでも良いですか?

そう聞いていました。

 

万華鏡愛好家からしたら信じられない対応かも知れませんが

 

あっ!そうそうコレだよなー!

流石分かってるなぁ!

 

私の万華鏡は本来この感覚だったんだーという事を思い出させてくれました。

ジッポーのように、傷なんて気にしない。いつも身近にあって使い込んで楽しみ倒して貰いたい。

そんな感覚です。