細野朝士の万華鏡よもやま話

ときどき書きます

買い物3

次は陶芸です。

実は私割と好きなんです。

特に薪を焚べるタイプの焼き物。

炎やその温度、煙、灰が作品に与える影響を常に学習し、想像しながら、狙って狙って焼きつつも、最後は自然に任せるしかないという感覚は万華鏡に近しいモノを感じます。

 

買う時にはやっぱり実物見て、比べたりしながら、これだ!という物を選ぶ行為も楽しいし、だからこそ愛着も湧くように思います。

 

実物を見ないで買った事も実は何度かありますが、殆どが失敗に終わっています。

 

ネットオークションでは、気になる作家さんを探しては、お気に入りに入れて、幾らで売れるのだろう?なんて観察する事もあります。

 

この人、全然売れてなかったのにいつの間にか売れるようになって、どんどん価格を上げてるなぁとか、そんな商売テクニックを楽しむ事も。

 

慣れてきた頃に、写真で悪く無いかな?と思う作品がとても安かったので、入札してみたらそのまま落札。届いて見てみたら全然気に入らない。やはり写真は実物其の物を写せないし、見る人は自分の良い風に解釈しがちなのだと思います。ちょっとの差で、好きが大嫌いになる。

立派な桐箱に入ってますが、何度か箱から出しては、やはり気に入らず収めてしまいます。

郵送費と変わらぬような落札価格でしたから、惜しくは無いですが、申し訳ないような気持ちを抱きます。

やはり気に入った物を購入すべきなのです。

 

もう一つの失敗は、好きな作家さん達にお願いして、作品を見せて貰って、同じような感じで!とそこそこの量注文した事があります。

 

きっと私が喜ぶようにとまとめて下さったのでしょうけれど、その作品の良さが半減して、一般受けしやすいような見た目綺麗な作品が届きました。

え?ちょっと荒っぽい歪な感じが良かったのに……

そんな経験もあります。

 

そういう経験を踏まえて、やはり万華鏡も実物を見て買って頂くのが一番だと思っています。

 

買い物2

次は手作り時計です。

クラフト系の催しやショップで見かける、手作り感のあるデザインの腕時計。

文字盤含めた外観、ベルトなどを手作りするようで、教えている先生もいるようでした。

私が万華鏡作り始めた頃には、手作り時計の作家は数名見かけました。時計という機能があり、身につける装飾品でもある。

これは購買意欲を掻き立てます。

さり気なく素敵に作る女性もいますが、私の知り合いは根っからのアーチスト気質で、今でいうスチームパンクのはしりのような人。

時計という枠に留まらない、身に着けるオモチャアート?仕掛けメカ?そんな突飛な作品を次々に発表してました。

 

彼が大変興奮して私の万華鏡を買ってくれた縁もあり、今でも時々交流があります。

 

何ともカッコいい彼の時計ですから、私も手に入れたいと思いましたが、私のキャラにはちょっと合いづらいという事で、気合いの入り過ぎではない大人しめの時計を選んだ記憶があります。

 

やはり、この人のを買いたい!と思わせるような作家性があったり、サイズ感やフィット感を確かめながら、作家さんからのお話しからも刺激を貰いながら、お気に入りを見つけたい。

そんな感覚は結構万華鏡に近いような気がします。

 

中のムーブメントはメーカーの物を使いますから、そこが大きく異なる点でしょうか。

ムーブメントまで作るなら、時計職人ですものね。目ん玉飛び出る世界のような気がします。

買い物

万華鏡に近い物って何だろう?と時々考えるのです。

 

今日思いついたのは、パイプ、手作り時計、陶芸、ファッション。

 

パイプは最近ネットで買いました。

タバコは高くなる一方だし、紙の煙まで吸わされるのも何だかムカつくし、タバコをキラシテ急遽買いに行くのも嫌だし。

タバコをやめるって選択肢もあるのですけれど、世の中で忌み嫌われる程に反骨心が芽生えて困ったものです。

 

そんな事でパイプ初心者ですが、もう3本あります。

色んな違いがあって、未だどれが理想なのか分からず仕舞い。其々の利点を見定めているような状態で、もし方向性が定まればもう一本となるのかもしれません。

まだまだ初歩の初歩ですから、外観が好みの物をオークションで安く手に入れてしまおうと思っています。

歴史の長いであろうパイプの形は、大抵洗練されていて、大きなハズレが無いのかもしれません。

体のサイズに合わせるとかもありませんから、こだわりの物の割にはネット販売に対応しやすいジャンルという印象です。

 

万華鏡と近いと思ったけれど、少し違う。

どちらかといえば、火を着ける葉っぱの方のブレンドや香りつけの方が万華鏡の肝に近いし、トータルでの喫煙時間が万華鏡時間に近い。

そんな事を考えました。

 

光源のこと

偏光の万華鏡は、光源によって見え方が随分と変わります。

透過光で見ますので、明るい方向に向けるのは勿論なのですが、明る過ぎても良く無い可能性があります。直接光源に向けて良い妖のようなタイプや乳白のアクリルを使っているタイプもありますが、基本的には明るい白壁などマットな明るさが適していると思います。

 

コチラにはきっと何度も書いていますから、読んで下さっている方は、ハイハイ分かりましたよーという感じでしょうが。

 

きっと私が伝えたい事は正確に伝えてられていないと思います。

 

どれだけ光源に影響されるか?どれだけ繊細か?という事について書きますと、照明を買う時に電球色と白色とあると思いますが

電球色は薄いオレンジ色の光ですので、暖色が強く出る事は分かりやすいと思います。

 

白色の方は、同じ白色と表示されていても、実際は薄い黄色の物から薄い青の光の物まであります。

 

私が展示の時に持っていく照明。トレース台なのですが、自然の白の日本製という売りだったものです。

同じモノを買い足したつもりですが、製造年度によって若干色が違っていて、そんな些細な差でも偏光万華鏡には影響します。

 

あまり書くと何だか面倒くさいなぁと思われてしまうでしょうが、そんな見え方の微妙な違いなど感じて頂いて、その時の気分でベストな環境を探って見て頂けたら作り手としては嬉しいなと思いまして、しつこいようですが書いてみました。

 

 

 

通販改定

本日からインボイス開始?

だからって何に気を付けたら良いのだろう?

誰ともあまり話した事ないから良く理解してないし、理解するつもりも無いのだけれど。

 

本当に始まってしまったのでしょうかね?私てっきり廃案にでもして、選挙に臨むつもりじゃないか?とすっかり思い込んでおりました。

 

そもそもお金の事をあまり考えたくなくて、このような小さな仕事を生業としている所がありますので、税の話など本当に面倒臭い。

確定申告だけでアップアップです。

 

そういったお金や税への嫌悪感、万華鏡を直接お見せ出来ないことの罪悪感、ちょっとしたサービス精神など、色んな思惑があって決めておりました通販での決まり事ではありますが、どうも思惑と現実にはギャップがありました。

 

そもそも万華鏡を買っていただく上で、一番大切に考えていたのは、実物を直接見て決めて欲しいという事。

通販は真っ向から対立するような行為ではありますが、現実的に直接見る事が難しい方に向けて上手く両立出来るつもりでおりましたが、

どうも考えが甘すぎました。

 

直接万華鏡を覗いて選べるという幸福を、妨げてしまうような形は避けたいのです。

 

 

今後の予定

最近の制作はイギリス向けの第二弾です。

まだヨーロッパ方面はあまりお付き合いが無いので、今後広まっていくと良いなぁなんて考えています。

徐々にその流れはきていて、パリにギャラリーを開く方が声掛けて下さったり、やはりパリで個展を開く方がプレゼンとして沢山扱って下さったりしていますので、次はいよいよフランスかなぁ?

 

なんせ今年からの新生活はみっちり仕事しないと成り立ちそうもないので、販路を広げていくのはとても大切です。

 

今後の予定、少しタイトになりそうなので、忘れぬ内に書き込んでおきたいと思います。

 

11月には、二か所で展示する事になってしまいました。

中旬から、昨年お世話になった桐生パーヴェイヤーズ企画のポップアップイベントが入り、

(追記、パーヴェイヤーズのポップアップは12月16日からと変更になりました。)

 

月末の週末は東戸塚での工房展への参加が決まっています。

 

来年の二月は銀座のギャラリーで個展。

七月は西麻布の素敵なセレクトショップで個展。

 

程良く予定が入り、サボってられない雰囲気となりましたが、上手に予定を組んで、楽しんでいきたいと思います。

 

夏休み

気を抜いたらひと月もあいてしまいました。

子供の通う学校によって夏休み期間がまちまちでして、未だに夏休み期間です。

二ヶ月半もの夏休みでは、なかなか制作に集中できません。困ったものです。

 

子供が小さい訳じゃ無いんだから、手が掛かる訳じゃ無いんですけどね。

単なる言い訳なのです。

 

万華鏡の話ですが、私の作るのは偏光万華鏡ですから、やはり通常の万華鏡作家ときっと考える事が違うのだろうなぁと思います。

 

先日作る中で考えていたのは、さりげない現象の重なりで、程良く移り変わるよい模様となるなぁという事。

このような事について、普段の生活に照らし合わせたりするのが私の癖です。

 

さりげない日常の中にある幸せを感じる事が、心地良い気分を作りあげて、満たされたりするのと似ているのかなぁ なんて具合です。

 

大きな幸せエピソードというのは、心が常にそれに支配されてしまいがちですから、癖が強すぎる変化の乏しい万華鏡になりがちだったりします。

 

どうしてもそのエピソード(オブジェクト)を使いたいならば、それを深く掘り下げて多面的に、色んな視点から見つめて違った気分を作り出したり、そのエピソードの過程のようなものを主役にして、時々チラつかせるくらいにしてあげないと強過ぎてしまうなぁ

 

そんな事を考えながら、作ったりしているのです。

 

何のこっちゃぁ分からないでしょうが、それが私の制作スタイルとなっています。

 

夏休みの子供が折角家にいるのだから、束の間の小さな幸せを感じてしまい、仕事が遅くなるのはそんな事情からなのかもしれません。

 

 

 

 

格言2

先日はラジオでネイティブアメリカンの教え?

今日は死ぬのにもってこいの日だ

というような格言的な言葉を聞きました。

 

もう死んでもいいと思えるほど、満ち足りた人生にしましょうという感覚でしょうか?

  

今日は残りの人生の最初の日

なんて言葉もあがりました。ありふれた今日が特別な日のような気がして、新しい事でも始めてみようか?と前向きになれる気がします。

 

必ず訪れる死というモノを意識する事で、生が輝くようなそんな共通点はありながら、死の見つめ方はある意味逆なのかもしれません。

 

私の経験で、生きるのが辛い時期、あまりに辛かったら死んで仕舞えばいいんだ。

そう思う事で精神的に救われた記憶がありますから、死を意識するというのは、強ち悪い事では無いと思っています。

 

キャプテンハーロックも、命を捨てて俺は生きると歌っていますね。

小さな頃は、命捨てたら死んじゃうだろうと、その矛盾が気になりましたが、捨て身でなければ生き残れない状況もシビアに考えればあり得る世界です。

 

生きるとか死ぬとか

たかだか百年程の人生で、人間はその意味を考えたいだけなのかもしれないなぁなんて気もします。

私は最近あまり大それた事は考えないようで、生きるのに意味なんてないし、無くていいだろうというような感覚があります。

自分や家族、身近な人が楽しい時間を過ごせればいいな

そのくらいのスタンスで生きているように感じます。

生と死の違いさえ少し曖昧で、でも生に少なくとも存在している共感という感覚、その響き合いの美しさに惹かれて、今暫く生きていきたいと思うのです。

 

 

 

格言

数学の問題で、最短距離を求めよなんてありますけれど、私は大の得意で

要するに直線であれば、それが最短だと誰もが納得してくれる訳です。

展開したり、鏡を使ったりして直線を使ってしまえばいいのです。

 

でも国語だったら、急がば回れなんていいますね。

 

これ反対の事じゃないの?

そんなのは大好物です。

 

何かに書いた事ある気がするのですが、私はコンビニで買い物する時に、最短距離を把握した上で、急がば回れ的に回って、最後に目的地に着いたりします。

 

コレ急ぐために回った訳じゃ無いですけれど、他の可能性を全部潰してから、やっぱりここだったかと

 

他の場所には無くて、唯一ここに置いてあった事が分かるという、絶対の正解が導かれるのだと思っています。

 

万一、予想外の所にあっても、あぁ回って良かったなぁ

 

悪い事がありません。

 

でも本当に時間がない人はそんな無駄はしないでしょう。

私だって、電車の乗り継ぎの間のキヨスクでそんな事はしないのですし、流石にホームセンターでもやらないです。

 

でも最高の出会いを求めるなら、頭に置いておいて良い感覚なのかもしれません。

 

人生のパートナー探しに使うには、人生が短すぎるような気もしますが、

万華鏡のオブジェクト調整くらいなら、試してみる価値はあるのかも?

 

 

逆転の発想

私の価値感の根底に居座っている物に、逆転の発想という物があります。

 

例えば、私はあなたよりも上ですよ

なんて威張っている人がいたとしても、私は逆立ちして、私からみたらあなたが下に見えますが……

そんな風に、自分の都合の良いように自由に変化して、そんな自分が好きなんだと思っています。要するに天邪鬼というかへそ曲がりなのでしょう。

 

ですから、この世界を取り巻いている金や権力という物からも上手に逃げて、誰よりも幸せになっちゃいましょう。

そんな生き方をしつつ、

時にはそんな自分も裏切っちゃって、金や権力利用するのも楽しいかも。

 

実はそんな振れ幅を楽しんでいるのかもしれないなと思います。

 

これ、ある意味「普通」への嫌悪感なのかもしれないなーと思います。

私の嫌いな言葉の中に普通という言葉が確かにあります。

 

あなたはバカですね、変態ですね

そんな言葉は寧ろ好きで、あなたは普通ですねと言われる事が一番傷つくし、言われても何の意味も無いように思い、生きている価値さえ無いように感じてしまいます。

 

あぁ 昨日と同じで、まとめるのが面倒になってきてしまいました。

 

逆転というワードはそのまま鏡の世界だし、偏光には色んな逆転があります。

 

そんな流れで記事になるかと思ったのですが、自分の変人ぶりを露呈する事になってしまいました。

 

普通が嫌いなんて書きながら、実は色んな場面で普通というのを常に意識している自分もいて、要は常識人に見られたい欲はそれなりにあるようなのですね。

 

そんな自分まで許して仕舞えば怖いもんなし?

 

一体なんの話やら、もう寝ましょ

 

 

スランプ?

私サーフィンなんてした事無いのですけれど、ここに移住する前は海の近くに住んでましたし、当時長髪で、変な旧車に乗って多少目立ってましたから、越してきた頃は変わり者のサーファーが引っ越してきたような話になっていた事がありました。

 

サーフィンって、きっと波に乗ってればいいって訳でも無いのでしょうね。

まぁ 趣味で楽しむだけでしたら本人なりの楽しみ方で、要は楽しければいいのですから、難しい事は無しでもいいのでしょうけれど、程良いチャレンジなど色んな欲が出てくるのも人間らしいような気が致します。

 

私の万華鏡人生は、万華鏡を作る人が少ない事をいい事に、随分と浮かれていたのかなぁなんて思う事も多いです。

サーフィンで言えば、自前の洗濯板でいつも程良い波に乗ってて、乗ってる事を楽しんでいる状態を長らく続けてきたように思います。

 

 

今日久々のブログで、書こうとしていた事を色々欲張り過ぎて、まとめるのがかなり難しいという見通しがたってしまいました。

 

なんかサーフィンの話なんか書いてるし

 

もう面倒臭くなってきたので、要点だけ書いてしまいますが、最近は割と忙しく頑張ってます。

でも、沢山作れている訳でも無く、苦しみながら楽しんでいる感じ。

狙った効果を生み出したい気持ちと同時に、クオリティも上げなければという気持ちが入り混じり、それが苦しめている事は確かではありますが、それは一つの大切な事で、常に考えステップアップさせたいと思いつつも、多少は自分を許さなければとても成り立たないという微妙な舵取りを迫られているといった具合です。

 

突然で変な話ですが、ベターな物を作る事とゴミを減らす事を天秤に掛ける事って私には良くあります。

料理に例えると、残りものの食材をどうするか?という話に似ていますが、私にとっては食材を捨てるというのは大きな罪となりますので、傷む前に いや多少傷みかけても何とか美味しくしてやろうと

 

そんな気持ちって凄く強いんだなぁと思います。

食材が食べられる事なく捨てられるのと、ミラーが像を映す事なく捨てられるのは同じ感覚です。

 

でも、腐ったもの食べますとお腹壊しますから、粘って粘って

といっても、食材が糸引いてる訳じゃなくて

何とか、美味しい料理にしようと限界まで努力を重ねつつ、頃合いを見て一気に捨てる。

そんな事を繰り返してしているように思います。

 

あれ?書こうとしてた事、こんな事じゃない気もしますが、忘れてしまいました。

そんな自分も許しつつ、もう一踏ん張りです。

 

 

虹色の万華鏡

来週から始まる予定の、郡上八幡の町屋プリズムでの展示は週末のみかと思いきや、不定期で割と平日も開催される予定でした。詳しくはSNSで調べてみて下さい。

 

展示会中、虹色の万華鏡の手作り体験があるらしく、折角ならば偏光の得意な私も一肌脱ぎましょうと言ったはいいものの、さてどんな肌脱ぎましょう?

 

私がちょっと前までやってたシステムのオブジェクトだったらお教えしても良いかな?と思ってはみたものの、それをちょちょいのちょいとすれば、今やってる事じゃないの?

 

私、こんな事20年も気付かないでやってきたんだなぁ

でも、知ってる今だから、ちょいちょいと考えられちゃう訳で、そう簡単には気付かんもんでしょう。

 

いやいや、何も知らない人だからこそ間違えて、あんな事こんな事やってみてる内に、あれ??なんて発見しちゃうんじゃ無かろうか?

 

失敗は発明の母と言いますけれど、本当にその通りなのですよね。

しかし並の失敗なんてありふれていて、誰もが通って来ちゃってる訳で、何も分かってない素人の斜め上の失敗にこそ可能性に満ち溢れているように感じます。

ただ何も分かってない分、その発見にも気付かない可能性も大いにある訳ですが。

 

色々と考えた末、ドキドキしながらオブジェクト風のモノをお送りする事に致しました。

こんな私の苦労なんてきっと誰にも分からないでしょう。

久しぶり

幾つかの仕事をやり遂げまして、少しゆとりが出来ました。

 

やりたくても先延ばしにしていた事や、幾つかの挑戦に専念できるタイミングかなぁと思います。

 

お待たせしてしまった方には申し訳ございません。

 

只今、我が家には在庫が殆ど無く、郡上八幡の町屋プリズムにお送り致しまして、来週からミニ個展という感じになっています。

お近くの方いらっしゃいましたら、どうぞ足をお運び下さいませ。

一服

もう6月も終わりが見えていますね。

本当に早いです。

7月1日には、懲りずに直販ページにアップする予定です。Facebookのmirror cruiseのページですよー

 

あまりに見て下さる方が少ないので、めげそうになる訳ですが、そのくらいでいいのです。

 

この半年は、私史上一番頑張ってるような気がします。とはいっても、独立してからです。

 

いつでも万華鏡の事を考えておりました。

新しいことが楽しくて研究したり、少しでも良くしたいと、粘り強く頑張れたのかな?

 

活動的にも新たな展開もありまして、一つの転換期になる年になるのではないか?と思っています。

 

大きな違いは海外からの注文が増えたという所が大きいように思います。

製作した内の半分ほどは海外に送られる流れとなっています。

 

そんな訳で、いつも少し追われるような状態で、スランプなんて言ってられないのですね。

 

我が家の生活が一変したのもありまして、丁度タイミングが合ったという感じです。

 

今までは海外での動きなんて、お話を頂いても想像できないようなパタパタ生活でしたが、今後は可能性の一つとして考えられるようになりつつあります。

コロナが始まる前から、とっくにパスポートが期限切れになっていると思いますけれど。

 

今日はこれから、直販用の写真を撮ってみます。今月はあまり時間がとれず、数は少なくなりそうですが、宜しくお願い致します。

うたた寝

昨日はコチラのブログの閲覧数が大変伸びました。

 

きっとどなたかが、私のブログを知って過去に遡って見て下さったのでしょう。

 

そうだったら嬉しいのですが、特定の記事だけ読まれてるという事でしたら、それは嵐の予兆ですから気をつけねばなりません。

 

今回はそうではないらしいので、あの方かな?この方かな?などと想像を巡らせております。

 

最近は忙しくしておりまして、昼夜問わず作業をしてます。

夕食後にうたた寝してましたら、起こされまして、朝か夜かも分からない状況。

そういえば朝飯後もそうでした。

 

でも、そういう時は短時間でもしっかり疲れが取れるようです。

口を半開きで、マヌケ面してるらしいですが……

 

こんなに頑張ってるんだから、さぞかし沢山作ってるのかな?と思えば、まだなんですよね。

色んな種類の色んな作業をしているワケでして、組み立てが終わって、やっと万華鏡完成。

 

私のような簡素な作りでも、それなりに色んな工程があるのです。

完成して初めて、色んな苦労が報われる。

 

もう直ぐ生み出される予定です。